山梨県内避難者の活躍レポート

【レポート1】福島から避難の細川勇喜さん山梨で直売無農薬農園の取り組み

赤い大根と細川さん

以下は細川さんに伺った内容である
赤い大根栽培の取り組み
避難時に貴重品とともに持って来た皮の部分が赤い大根の種。長いこと大根の栽培をしている中で2000本の大根のうち1本だけ赤い大根があり、この大根から種を取り(2000~3000粒)蒔いたところ、白や紫などいろいろな色の大根が収穫できた。赤い色の大根を収穫したかったが5年くらいは赤い色は1本だけだった。10年以上かけて皮の赤い色の大根として収穫できるようになった。震災前はこの大根を「福島レッド」等として売り出すつもりだったが、今は山梨のこの農地で栽培に取り組み販売していくつもりである。
左の写真は今年収穫した皮の部分が赤い大根と中までピンク色の大根を示す細川さんの写真

震災まで

福島では田・畑・ハウスでの果物栽培など40年間無農薬農業をやって、春の山菜から秋のキノコ採りまで年間を通して自然の恵みを活かして過ごしてきた。
あの地震が起きる1時間ほど前は山の中にいたが、突然ドーンと音がした。遠くにいつも通りなんでもなく車が走るのが見えたが、山の中には鳥も獣の気配もなくなり不気味な感覚にとらわれすぐに自宅に戻った。
その後自宅が警戒区域に指定され、山梨にいる親戚を頼って福島から東京経由で山梨県まで通常5~6時間の距離を25時間かけて避難してきた。当初は5~6日山梨で過ごせば福島に戻れると思っていた。

農業再開

しばらくは他の農家のアルバイトなどをしていたが、笛吹市の支援者を通じて遊休農地を借り、ボランティアに手伝ってもらいながら一ヶ月かけて耕作し、一方でレタス・白菜・キャベツの苗を作るなどして9月から本格的に農業を再開した。
山梨は福島とは気候も違うのでいつも通り栽培に取り組み始めたもののどんなものができるのかと不安もあったが今までの経験を元に頑張っている。
福島でも今も鶏糞と牡蠣殻と尿素の3種類を基本に木酢液を薄めて使うなどして無農薬に取り組んでいる。木酢液は福島では自分で作っていて保存してあるので春になったら持ってきて使うつもりである。現在は福島で栽培していたのと同じように甘い野菜ができたと自負している。

直売の取り組み

今の農地は日照時間が長いし、山梨は福島より気候が暖かい。今年は畑の野菜・ブドウ用の棚を活用したスイカ・かぼちゃ、自然薯なども栽培し、販売の方法も消費者が自分で欲しいだけ収穫してそれを販売する、観光農園のような取り組みをしたい。
また、栽培した野菜を福島に持って行きおいしくて放射能の心配のない野菜を安心して食べてもらいたいと思っている。

下の写真左、簡単な直売所として初めて出した看板と、やわらかく育った野菜たち
写真中央は、一ヶ月かけて耕作した土地に植えた野菜たち
写真右は、ブドウ棚を利用して栽培している畑

野菜直売の写真 遊休地での農業 ブドウ棚の活用
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