山梨県内避難者の活躍レポート

震災で山梨県に避難し活躍している方々や避難者を支援する団体などに各種情報を元に絆ネットワークのメンバーが取材し、レポートとしてまとめました。

鎌田智香子さん
【レポート8】富士山の見える地を第二の故郷として

東に太平洋のまっすぐな海岸線が続き、西は山に接する福島県南相馬市は、東日本大震災で地震と津波による被害、福島第一原子力発電所事故の影響も受けている地域である。
その南相馬市から、被災後自力で知人の伝手を頼りに山梨県に避難してきた鎌田智香子さんに、山梨での定住を決意するまでの日々と、これからのことをお話いただいた。

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海外の子供たちからの寄せ書き
【レポート7】避難者から支援する立場へ

福島県いわき市で被災し、富士河口湖町の「河口湖自然楽校」に避難者として家族で受け入れられた阿部修治さん。当初、家族5人がスーツケース一つ分の荷物だけで始まった避難生活だった。その後、受け入れ先施設で支援者としての活動を始め、現在は奥様とともに、施設を運営するNPO法人で働いている。
避難者から支援者へ立場を変え、活躍の場を切り拓く日々。さらに「被災」を乗り越えこれからの「防災」に力を注ぐ阿部さんに、お話をうかがった。
左の写真は、河口湖自然楽校に贈られた海外の子供たちからの寄せ書き。

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津波で破壊された直後
【レポート6】「地域資料デジタル化研究会」による東日本大震災被災地域資料デジタル化の取り組み

被災時の状況やこの取組みを行うようになった経緯
私たちNPOは、以下のミッションを掲げ活動を行っています。
地域資料デジタル化に関する研究と実践
地域資料デジタル化に関する普及啓発
図書館・博物館等の学習施設の情報化およびサービスに資する事業
その他、本会の目的を達成するために必要な事業
 今回、平成23年3月11日に発生した東日本大震災によって多くの人命と財産が失われましたが、その中で人災だけでなく、公共図書館などにおいて地域の歴史や文化を伝える貴重な資料も数多く失われてしまいました。私たちNPO法人地域資料デジタル化研究会では、私たちにできることとして、図書館で被災した地域資料をデジタル化技術を用いて救出できないだろうかという議論が生まれました。
左の写真は被災後 間もない陸前高田市立図書館です

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食品を送り先ごとに仕分けている写真
【レポート5】「フードバンク山梨」による被災者への食品の提供

食品の提供をとおして心をつなぐ
「フードバンク山梨」は東日本大震災直後から市町村の福祉課や社協からの依頼を受け、震災により県内へ避難された方々へ食品などの提供を行なっている。 当初は、企業・団体や個人の方から寄せられた食品などを出来る限り避難者の依頼にそうように「フードバンク山梨」が準備し、市町村の福祉課や社協の方がそれぞれの避難先に配達していたとのこと。
現在は「フードバンク山梨」が配達もしながら、食品の提供を続けている。
また、支援者から送られる荷物には、食品とともに避難者への声掛けのお手紙も添えられているとのことで、避難者と県民の心を食品の提供をとおしてつないでいる。
左の写真は、食品を送り先ごとに仕分ける様子。

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高橋清さんの写真
【レポート4】ふるさとを思い、被災体験を語る

福島県双葉郡大熊町。福島原発の1号機から4号機が立地するその町に自宅を持つ高橋清さんは、被災後、笛吹市で避難生活を送っている。高橋さんは、来県当初から県内のマスコミ取材にできる限り応じてきた。それは、未曽有の大災害とそれに続く原発被害の実情を、体験者の立場で伝え、理解してほしいという一途な思いからである。そしてまた、東海、東南海、富士山と今後起こりうる自然災害と無縁ではない山梨県の皆さんに、自分の話が少しでも参考になるようにと願いながら高橋さんは語る。
絆ネットワークの取材メンバーが高橋さんにお話をうかがったその日は、ちょうど節分の2月3日。現れた高橋さんは、「ここに来る前、富士川町の昌福寺の豆まきに、福島県人会から参加してきました。これまでの厄災を払うように、気持ちをこめて豆をまきましたよ。」と。

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合同研修旅行の写真
【レポート3】東日本大震災山梨県内避難者への山梨県甲州市の取り組み

市は絆を取り結ぶ役目と甲州市の政策秘書課笹本さんは語る
福島県立小高工業高校第1学年はサテライト5校で学習していて合同研修旅行の実施を企画していた。甲州市はこの趣旨に賛同し受け入れを決め、地元の塩山高校に打診したところ受け入れてくれることが決まり、宿泊と食事代は市側で負担し支援することになった。
左の写真はその時の様子である。
避難者は福島県の方が多く、ご主人は単身で福島に残りその家族が避難してきた例が多い。縁もゆかりもないところではなかなか外出の機会がなく、市は甲州市民のボランティアの協力を得て被災者と市民の交流の場を作るなど支援に取り組んだとのこと。

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テルゴの全景写真
【レポート2】クリスタルカーボンを練り込んだパンで鳴沢村を有名にしたい

気仙沼に単身赴任していて被災した「先生」が再起を誓う
後藤照夫さんは、東京製菓学校や気仙沼で支援学校の講師を務めていたことから「先生」と呼ばれている。過去に心臓のバイパス手術をしていて、被災時は薬と保険証だけ持って逃げ、40年来の友人(富士吉田市在住)に誘われ山梨に来て、友人の親族が提供してくれた元民宿を借りてパン屋さんを開店させた。
ここで独自に開発したクリスタルカーボンを練り込んだパンやロールケーキなど他に類を見ない商品を販売している。地元のパン屋さんと違う商品なので、噂を聞きつけて遠方より来るファンも多く、これで鳴沢村を有名にして恩返しをしたいとのこと。
左の写真は「洋菓子とパン工房 テルゴ」の入口

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福島から避難の細川勇喜さん
【レポート1】福島から避難の細川勇喜さん山梨で直売無農薬農園の取り組み

東日本大震災後、福島県南相馬市から笛吹市内に避難してきた細川勇喜さん。「私はこの大根の種を持って避難してきた。」と語る
福島では田・畑・ハウスでの果物栽培など40年間無農薬農業一筋に働き、また春の山菜から秋のキノコ採りまで年間を通して自然の恵みを活かして過ごしてきたが、春の震災ですべてを置いて避難せざるを得なかった。夏に避難先の笛吹市の遊休農地を借りて再び無農薬農業に取り組み始めた。とりわけ10年以上かけて品種改良してきた皮の部分が赤い色の大根の種を秋に蒔き収穫にこぎつけることができて良かった。今後は野菜果物を栽培し消費者に収穫してもらって販売する方法で直売をしていきたいとのことだ。

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